ブランデンブルク協奏曲 第1番(テューリン編)

昨年末、とある演奏会で取り上げた、ブランデンブルク協奏曲 第1番のピアノ編曲を紹介します。
Bach=Tulin/ Brandenburg Concerto No.1 BWV 1046 1st. mov.
(Bach=Tulin/ Brandenburg Concerto No.1 BWV 1046 1st. mov.)
このブランデンブルク協奏曲 第1番の楽譜(全楽章がピアノソロに編曲されています)は、モスクワのムジカ社から1961年に出版されていたもので、プラハの音楽学校の図書館に眠っていました。編曲者テューリン(Juri Tulin, 1893-1978)については、ロシアの音楽家ということ以外は詳しいことはまだ判明していませんが、この編曲は見事です。原曲が比較的大きな規模の楽器編成ということもあって、ピアノソロで弾けてしまうこと自体が驚きです。
音が密集している中で音域の交換や思い切ったパートの省略(フォッフォッフォッ フォッフォッフォッ フォ- という特徴的なホルンの合図を無視しています)をうまく活用し、ピアノ1台で生み出せる最大限の効果を出せていると思います。下の譜例のように、ピアノの高音域を随所に織り交ぜていることから、ピアノならではの輝かしい響きを出しています。また、同じパッセージを異なる楽器で掛け合う部分についても、3度、6度、音域、とそれぞれ変化をつける工夫をしていることも見てとれます。
Bach=Tulin/ Brandenburg Concerto No.1 BWV 1046 1st. mov.
(Bach=Tulin/ Brandenburg Concerto No.1 BWV 1046 1st. mov.)
とはいえ、シャコンヌなどの編曲とは違ってピアノに適した楽想ではなく、純粋なピアノ曲としては鈍重な感は否めません。バッハの音楽をピアノの音色で楽しむということに割り切ることです。(実際に私がこの曲を演奏した後、数名の方から「わざわざピアノで弾かなくても・・・」と評判は概ねマイナスでした。。。)
ところで、ブランデンブルク協奏曲は、バッハの全楽曲の中でも私が最も好きな曲集です。全6曲、全てが異なる楽器編成で、この第1番はコルノ・ダ・カッチャ(ホルン)、オーボエ、ファゴット、ヴィオリーノ・ピッコロが独奏楽器群、ヴァイオリン、ヴィオラ、ヴィオローネ、通奏低音が合奏楽器群ということで、曲集の中でも大規模な編成です。それぞれの独奏楽器群が緊密に掛け合う論理的・幾何学的な構成がこの曲の魅力です。
ブランデンブルク協奏曲集の全6曲について、ピアノソロ用の編曲をようやく全て揃えることができました。原曲の方が素晴らしいのは当り前の話ですが、楽団を率いることができるわけではないので、このピアノソロ編曲をいつか全曲制覇したいものです。
以下第2~4楽章までの譜例です。演奏者に無理を要求するような編曲ではありません。
◎第2楽章の譜例
Bach=Tulin/ Brandenburg Concerto No.1 BWV 1046 2nd. mov.
(Bach=Tulin/ Brandenburg Concerto No.1 BWV 1046 2nd. mov.)
◎第3楽章の譜例
Bach=Tulin/ Brandenburg Concerto No.1 BWV 1046 3rd. mov.
(Bach=Tulin/ Brandenburg Concerto No.1 BWV 1046 3rd. mov.)
◎第4楽章の譜例
Bach=Tulin/ Brandenburg Concerto No.1 BWV 1046 4th. mov.
(Bach=Tulin/ Brandenburg Concerto No.1 BWV 1046 4th. mov.)

ブゾーニ編のピアノ協奏曲 二短調 BWV 1052

以前CDの紹介「ブゾーニ版バッハ集のCD 第1弾」で取り上げた、ブゾーニ編曲のピアノ協奏曲 ニ短調 BWV1052について、改めて楽譜を交えて紹介したいと思います。
これは当時のチェンバロ協奏曲を、ピアノでもっと良く響くように、ブゾーニが数々の工夫を加えたものです。たとえば通奏低音パートとしてのピアノパートは排除し、ピアノの音域をフル活用するようにピアノならではのパッセージに書き換えられています。
以下、オリジナルのチェンバロパートとブゾーニ版の同じ部分を見比べてみます。
Bach/ Concerto d-moll BWV 1052
(Bach/ Concerto d-moll BWV 1052)
オリジナルでは同じ音域でのパッセージを、音楽の流れそのものは変えずに、ブゾーニ版では高音まで演奏音域を拡大しているのがわかります。
Bach=Busoni/ Piano Concerto d-moll BWV 1052
(Bach=Busoni/ Piano Concerto d-moll BWV 1052)
この手法はあらゆる場所で活用されています。また次の例は、音域の拡大に加え、和音に音を追加することで響きを豊かにしています。
Bach/ Concerto d-moll BWV 1052
(Bach/ Concerto d-moll BWV 1052)
Bach=Busoni/ Piano Concerto d-moll BWV 1052
(Bach=Busoni/ Piano Concerto d-moll BWV 1052)
そしてカデンツァはこうなってます。小さくて見えないかと思いますが、ピアにスティックな様はわかると思います。
Bach=Busoni/ Piano Concerto d-moll BWV 1052
(Bach=Busoni/ Piano Concerto d-moll BWV 1052)
さてその録音ですが、まずは近年のクリアな音質での録音はとしては、以前紹介した「ブゾーニ版バッハ集のCD 第1弾」のほかに、「アダム・スコウマルの演奏によるCD」が挙げられます。このCDには、この協奏曲の他に、ラフマニノフ編曲の無伴奏ヴァイオリンパルティータ、ラフマニノフのピアノ協奏曲第3番が収録されており面白いカップリングです。


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そして、ヒストリカルな録音としては、リパッティのCD「Dinu Lipatti plays Bach」や「Lipatti Liszt, Bartok, J.s.bach: Piano Concerto」が挙げられます。特に前者はリパッティが残したバッハの名録音が多く含まれており、ぜひ手にしておきたい一枚です。


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以上、主にHMVへのリンクを張りましたが、Amazonでは以下のリンクをご参照ください。
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左手のためのバッハ編曲

左手のためのバッハ編曲。先日は、私が自分で編曲した左手のためのサラバンドについて書きましたが、今回は名のある音楽家が残した左手のためのバッハの編曲を紹介しようと思います。結構数があるようで、曲目データベースの方でも、左手のための曲目が網羅できていなかったので、この機会に整理してみました。
もっとも有名なものとしては、ブラームス編曲のシャコンヌでしょう。記録によれば、1879年に書かれたようです。
Bach=Brahms/ Chacconne for left hand only
次に有名どころとして、ラヴェルから左手のための協奏曲を献呈された左手ピアニスト、ヴィットゲンシュタイン(Paul Wittgenstein,1887-1961) の残した「左手のための練習曲集」(Schule für die linke Hand)の中にも、バッハの編曲がいくつか含まれています。
 →ヴィットゲンシュタインによる編曲リスト
ところで、おそらく左手だけのピアニストとしてはもっとも古いと思われる、ゲザ・ジチー(Géza Zichy, 1849-1924) も、1883年に左手用のシャコンヌを残しています。この編曲はブラームスによるものよりもずっと難しく、結尾部には独自のカデンツを付け加えていたりと、非常にピアニスティックな編曲になっています。ブラームス編と並べて見てみるとその凄まじさがよくわかります。冒頭部分はそれほど変わりませんが、音域は1オクターブ高く設定しています。
Bach=Zichy/ Chacconne for left hand only
まだまだあります。大量のバッハの編曲を残している、イシドール・フィリップ(Isidor Philipp, 1863-1958) は、「バッハによる、左手のための4つの練習曲」という曲集を残しています。この曲集には、無伴奏ヴァイオリン曲の中から、ホ長調の前奏曲ロ短調のブーレト短調のプレスト、そしてシャコンヌ(下図)が含まれています。
Bach=Philipp/ Chacconne for left hand only

さらに、現役のピアニスト、ラウル・ソーザが編曲した半音階的幻想曲とフーガは驚異的な編曲です。1999年に来日したときに実際に聴きましたが、独自の創造を織り交ぜながら、 メロディーの音型や音域を変えつつ音楽の持つ精神そのものを見事に表現しています。これはCDでも聴けるのでぜひ聞いてみて下さい。
 →「Amazon: An Anthology for the Left Hand
ソーザの他の左手用編曲としては、3声のインヴェンション(シンフォニア) 第14番 変ロ長調もあります。





その他、ジョセフィー(Rafael Joseffy, 1852-1915)は、無伴奏ヴァイオリンパルティータのガヴォットを左手用に編曲しています。これも見事な編曲だと思います。
Bach=Joseffy/ Gavotte for left hand only
最後に紹介するのは、楽譜は見たことが無いですが、トレインという人が編曲した、無伴奏チェロ組曲第1番プレリュードの左手版の映像はYouTubeで見ることができます。

以上、私が知る左手のためのバッハ編曲を網羅したつもりです。他にご存じの方がいらっしゃれば、ぜひご教示下さい。

ブゾーニ版バッハ集のCD 第1弾


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先月、注目すべきCDがリリースされました。「The Bach-Busoni Edition Vol.1 」というCDで、ブゾーニ版のバッハ集(クラヴィーア曲)の曲目が収録されています。演奏者は、サラ・デイヴィス・ビュークナー(Sara Davis Buechner)。このピアニスト、実は第8回チャイコフスキー国際ピアノコンクールに第6位に入賞したピアニストで、その時はDavid Buechnerでした。詳細はこちらのページをご覧ください。
このCDに収録された曲の約半分は、以前紹介したCD、Bach-Busoni Goldberg Variations [D. Buechner] (ConnoisseurSociety,1995) と同じです。この時はブゾーニ版のゴルトベルク変奏曲がメインでしたが、今回はブゾーニ版バッハ集の紹介を軸に構成されています。
さてタイトルにもあるとおり、「ブゾーニ編曲」ではなく「ブゾーニ版(Busoni-Ausgabe)」として敢えて書き分けています。これは、オルガン曲やヴァイオリン曲の編曲ではなく、バッハのクラヴィーア曲をブゾーニがピアノ曲集として編纂したものを指しています。このあたりの説明は具体例がないと若干わかりづらいので、このCDに収録された曲目についていくつか解説しておきたいと思います。
1.平均律クラヴィーア曲集からの3つの編曲
 1) Widmung
 2) Preludio, Fuga e Fuga figurata
 3) Fugue in G major for two pianos
1) のWidmung は、ブゾーニ版バッハ集の冒頭に掲げられた曲で、平均律 第1巻 第1番 ハ長調のフーガの主題とフーガの技法の未完のB-A-C-Hの主題が組み合わされた、1ページ程の短い曲です。この楽譜はまだ見たことがないのですが、以前耳コピで採譜したものがあるので冒頭部分を紹介します。
Busoni/ Widmung
(Busoni/ Widmung)
2) のPreludio, Fuga e Fuga figurata は、平均律 第1巻 第5番 二長調の前奏曲とフーガを組み合わせた曲です。詳しくは曲目データベースの紹介以前紹介したCDの記事をご覧ください。
3) のFugue in G major for two pianos は、平均律 第2巻 第15番 ト長調のフーガ(ブゾーニ版では平均律第1巻と第2巻のト長調フーガは入れ替えられています!)を、曲の構成や響きを学ぶために、2台ピアノ用の練習曲として編曲されたものです。
2.ゴルトベルク変奏曲
 ブゾーニ版のゴルトベルク変奏曲では、原曲通りアリアと30の変奏がすべて収録されていますが、演奏会用には本来この曲が持つ構成・意義を捨象し、演奏効果からのアプローチで3つのグループに分けて、全曲ではなく抜粋で弾くような提案が掲載されています。グループ分けは以下の通りで、グループ3はピアノ曲として演奏会用に大幅に手が加えられています。聞いていると驚きの連続です。最後のアリア反復は低い音域で演奏され、名残惜しむように終わります。
  グループ1: アリア、第1、2、4、5、6、7、8、10、11、13変奏
  グループ2: 第17(または14)、15、19、20、22、23、25変奏
  グループ3: 第26、28変奏、Allegro finale, Quodlibet e Ripresa(第29、30変奏とアリア反復)
3.ピアノ協奏曲 第1番 二短調
 ブゾーニ版のピアノ協奏曲 二短調もまた、当時のチェンバロ協奏曲をピアノで良く響くような改編を多く加えています。たとえば通奏低音パートとしてのピアノパートは排除し、ピアノの音域をフル活用するように低音から高音まで演奏音域を拡大しています。このブゾーニ版ピアノ協奏曲については、別途解説の記事を譜例付きで書きたいと思います。このCDではライブでの録音が収録されており、この曲の熱気が伝わってきます。
ブゾーニ版のバッハ曲集は、バッハの音楽を学ぶための様々な練習用の変奏が掲載されています。それらのいくつかは演奏会用の曲目として耐えうるものも含まれていますが、実際にこうしてCDで聴けるのは極めて稀です。このCDのタイトルにVol. 1 とあることから、Vol. 2 以降も続くことを願っています。
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新発見のオルガン曲(BWV 1128)の楽譜

2008年4月15日に新発見されたバッハのオルガン曲、コラール・ファンタジー「主なる神、我らの側にいまさずして」 BWV 1128の楽譜(オルガン譜)を、つい先週入手しました。下の画像は楽譜の表紙です。
BWV 1128 Cover
(詳細は出版社のサイトをご参照ください。)
早速、このオルガン譜を見ながらピアノで通して弾いてみました。多少の工夫をすれば、二本の腕で演奏できそうです。以前、Web上にあった自筆譜の画像を元にして冒頭箇所をピアノ編曲してみましたが、ようやくこの曲の全体が見えたので、ぜひ全体を通してピアノ編曲してみようと思います。
2008.7.14 現在の進捗:19小節目まで(全85小節)
——
(2008.7.17追記)
アカデミアでも入手できるようです。Web上の案内はこちら。

マタイ受難曲 BWV 244 より「われらは涙してひざまずき」

マタイ受難曲 BWV 244 より 「われらは涙してひざまずき」
‘Wir setzen uns in Tränen nieder’ from Matthäus-Passion BWV 244

ストラーダルが手稿譜として残した編曲の数々を見たときに、いち早く「弾いてみたい!」と思った曲で、真っ先に浄書し、先日の演奏会で初めて人前で弾かせてもらいました。1921年に編曲されたまま忘れ去られ、去年まではチェコの博物館に自筆譜として眠っていたものなので、おそらく日本初演だったのではないでしょうか。
原曲はあのマタイ受難曲の終曲であり、時間にして約3時間にわたる音楽の締めくくりとして感動を誘う大合唱です。マタイ受難曲に関する詳細な解説は世にたくさん出回っているため、ここでは割愛します。
さてこの曲をピアノで弾くには相当無理があると思われますが、ストラーダルは繰り返しごとに和音を分厚くしてゆき、壮大な楽想を果敢にピアノで表現しようとしています。まず冒頭部の楽譜を見てみましょう。以下のように比較的まともな音の使い方で曲が始まります。
Bach/'Wir setzen uns in Tränen nieder' from Matthäus-Passion BWV 244
これが、展開を経て再現される箇所では、以下のようになってしまいます(4小節目)。左手にいたっては3オクターブにわたるアルペッジョ和音。唖然とさせられます。
Bach/'Wir setzen uns in Tränen nieder' from Matthäus-Passion BWV 244
ストラーダルには失礼かも知れませんが、この編曲に関しては必ずしも記譜された全ての音を弾く必要は無いと私は考えます。現実的に演奏可能な程度に音を減らしてもある程度は同じ演奏効果が得られると思い、独自に手を加えました。
一方で、ストラーダルの編曲では終始、中・低音域の厚い和音が集中していることで、若干冗長というか、もっさりと重たすぎると思います。音を減らすところで手を加えたついでに、一部のメロディー部は1オクターブ高い音域で演奏するように手を加えました。その一例を以下に挙げます。
<ストラーダルによる結尾部>
Bach/'Wir setzen uns in Tränen nieder' from Matthäus-Passion BWV 244


<私の結尾部の改善案>
Bach/'Wir setzen uns in Tränen nieder' from Matthäus-Passion BWV 244
弱音で奏でる1~2小節目の和音は音を少なくし、力強く歌う箇所(3~4小節目)は弾き易く音を減らした低音のアルペッジョと高音域に移したメロディーで広い音域を使うように手を加えました。
これらの改編は、当初は練習しながら思いついて書き込んでいたものでしたが、自分が演奏会に出すために何度も練るうちに改訂版としてまとめて楽譜を作り直しました。今年もまだ演奏会に出演させていただく機会が何回かあるので、ぜひこの曲も熟成させ何度か弾きたいと思っています。(よい録音が残せれば載せたいと思います)

コラールパルティータ 「キリストよ、汝真昼の光」 BWV 766

コラールパルティータ 「キリストよ、汝真昼の光」 BWV 766
Chorale Partita ‘Christ, der du bist der helle Tag’ BWV 766

先日の記事で取り上げた「バッハの主題による幻想曲」の中心となるバッハの原曲、コラールパルティータ「キリストよ、汝真昼の光」 BWV 766が、ストラーダルが手稿譜として残した編曲の中に含まれています。この曲も私が浄書したので、その一部をMIDIファイル付きで紹介します。
曲の構成としては、まずコラールの主題を提示し、その後6つの変奏が繰り広げられ(全部で7つの変奏)、最後に主題が回帰します。原曲のオルガンでも第6変奏までは手鍵盤のみで演奏でき、最後の第7変奏でペダルに主題が現れ5声で力強く締めくくられます。以下の楽譜は、ストラーダル編のコラール主題部です。
コラール主題midi
Theme - Chorale Partita 'Christ, der du bist der helle Tag' BWV 766
ストラーダルの編曲では、第1~第6変奏の途中までは比較的おとなしく、強弱やペダル記号の追記以外はほとんど原曲と同じです。あたかもクラヴィーア曲のような趣ですが、第6変奏の途中から次第に和音が拡大され、第7変奏で盛り上がりの頂点を築きます。以下の楽譜が第7変奏、一見複雑そうに見えますが、演奏はさほど難しくありません。特にこの第7変奏は強弱の対比も見事で、ピアノで演奏することにより、より華やかさが前面に出ると思います。なおこの第7変奏も、ブゾーニの「バッハの主題による幻想曲」で使われています。
第7変奏midi
7th Vars. - Chorale Partita 'Christ, der du bist der helle Tag' BWV 766
バッハのオリジナル曲で、ゴルトベルク変奏曲が圧倒的な存在感を示しているとはいえ、モーツアルト等の後世の音楽家と比べてピアノで演奏できる変奏曲の数が少ないのは事実です。こうしてピアノでバッハの変奏技法を楽しむというのも一興だと思います。

カンツォーナ ニ短調 BWV 588

カンツォーナ ニ短調 BWV 588
Canzona d-moll, BWV 588

ストラーダルが手稿譜として残した編曲の中に、この曲が含まれていました。
原曲はバッハの初期のオルガン曲(とされている)で、厳かな雰囲気を持つ対位法的な楽曲です。実は今まで、初期の作品だと勝手に侮っていたのかもしれませんが、この原曲はチェックしておらず知りませんでした。こんな良い曲があったとは。今回ストラーダル編曲の手稿譜を浄書することで、強くこの曲の魅力に惹かれました。まだまだこういう発見がきっとたくさんあると思うだけで、ますますバッハの音楽の研究熱があがるというものです。
曲は大きく2つの部分からなり、どちらも4声のフーガになっています。以下の譜例はそれぞれのテーマですが、テーマに関連があるのは明らかです。第1部は緩やかに展開されるのに対して、第2部は動きが感じられます。
第1部
Bach/ Canzona d-moll BWV 588 - 1st part
第2部
Bach/ Canzona d-moll BWV 588 - 2nd part
ニ短調という調性もあり、曲の雰囲気は最晩年の作品、「フーガの技法」に通ずるものがあると思います。そして対旋律としての半音階との調和が見事です。
さて、これをピアノで弾くとどうなるか。旋律・対旋律ともにピアノの音色で聴くとよりくっきりと聞こえ曲の輪郭が見えてくるので、これがまたとても魅力的です。ストラーダル編の手稿譜を浄書した副産物としてMIDIファイルができましたので、譜例と共に掲載します。機械の演奏ですが音として聞くことでイメージが伝わるかと思います。
第1部midi
Bach/ Canzona d-moll BWV 588 - 1st part
第2部midi
Bach/ Canzona d-moll BWV 588 - 2nd part

ウィーン旅行での収穫

しばらく更新が滞ってしまいました。11/14~21まで、ザルツブルクとウィーンへ旅行に行ってきました。ウィーンでは、バッハというよりもモーツアルトやシュトラウスが中心でしたが、観光の合間に立ち寄った楽譜店にて、持っていなかったバッハ編曲モノの楽譜を3点ほど入手しました。小品を2曲、大曲を1曲。
まずは、アレクサンドル・タロー編曲の「シチリアーノ(ヴィヴァルディの協奏曲のオルガン編曲より)」と「アンダンテ(原作者不明の協奏曲のクラヴィーア編曲より)」です。両曲ともにアレクサンドル・タローのCD「Concertos italiens 」に収録されているものです。
Bach=Tharaud/ Sicilianne from Concerto nach Vivaldi d-moll  BWV 596
(Bach=Tharaud/ Sicilianne from Concerto nach Vivaldi d-moll BWV 596)
次に大曲の方は、ファジル・サイによる「パッサカリア ハ短調」の編曲。ただ分厚い和音だけでなく高音域をよく使ったピアニスティックな編曲になっています。
Bach=Say/ Passacaglia c-moll  BWV 582
(Bach=Say/ Passacaglia c-moll BWV 582)
こちらは音源は出ていないものの、来日演奏会でも何度か演奏されており、私も王子ホールで聴きました。終演後のサイン会で私は「楽譜を出版するつもりがあるか?」という質問をしましたが、「もちろんそのつもりだ」という答えをもらっていました。SCHOTT社の「The Virtuoso Piano Transcription Series」の第12巻として今年出版されたばかりのようです。帰国後検索してみたところ、楽譜オンラインショップ di-arezzoでも入手できるようです。
追記: SheetMusicPlusでのリンクはこちらです。

Passacaglia and Fugue in C MinorLook InsidePassacaglia and Fugue in C Minor (The Virtuoso Piano Transcription Series, Volume 12). By Johann Sebastian Bach (1685-1750). Arranged by Fazil Say. This edition: ED20137. Piano. 20 pages. Published by Schott Music (HL.49016112)
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バッハの主題によるオクターブ練習曲

バッハの音楽のピアノ編曲というと、たいていは「ピアノ演奏会」用の芸術作品を目指しているもの(成功しているかどうかは別として)が多いと思いますが、今日は思い切って「練習曲」としているもので、その中でも純粋なテクニック向上のためを目的とした曲を紹介します。
フランスの名ピアニストであり名教師として有名であるフィリップ(Isidor Philipp)は、大量のバッハの編曲を残していますが、その中でも一風変わったものとして、「バッハの主題によるオクターブ練習曲 作品53」(Etudes En Octaves d’apres J. S. Bach Op.53)があります。これは、バッハの2声の楽曲を左右ともオクターブで弾かせるというものです。全15曲あり、構成(原曲との対応)は以下の通りです。

Etudes Original Works No.
第1番 2声のインヴェンション 第2番 ハ短調 BWV 773
第2番 2声のインヴェンション 第5番 変ホ長調 BWV 776
第3番 2声のインヴェンション 第8番 ヘ長調 BWV 779
第4番 2声のインヴェンション 第9番 ヘ短調 BWV 780
第5番 2声のインヴェンション 第11番 ト短調 BWV 782
第6番 2声のインヴェンション 第13番 イ短調 BWV 784
第7番 2声のインヴェンション 第15番 ロ短調 BWV 786
第8番 フランス組曲 第2番 ハ短調 「メヌエット」 BWV 813/4
第9番 フランス組曲 第2番 ハ短調 「ジーグ」 BWV 813/7
第10番 フランス組曲 第3番 ロ短調 「前奏曲」 BWV 814/1
第11番 フランス組曲 第3番 ロ短調 「ジーグ」 BWV 814/7
第12番 イギリス組曲 第1番 イ長調 「ブーレ」 BWV 806/6
第13番 イギリス組曲 第2番 イ短調 「ジーグ」 BWV 807/7
第14番 パルティータ 第3番 イ短調 「幻想曲」 BWV 827/1
第15番 平均律クラヴィーア曲集 第1巻 第10番
ホ短調 「フーガ」
BWV 855/2

いくつか実際に楽譜を見てみましょう。まずは1曲目、原曲はインヴェンション第2番です。
Philipp/ Etudes d'Octaves d'apres J. S. Bach No. 1
(Philipp/ Etudes d’Octaves d’apres J. S. Bach No. 1)
2声のインヴェンションをもとにした曲が続いた後、組曲で2声で書かれた曲が対象になっています。たとえば第12番では、イギリス組曲第1番のブーレを元にしています。
Philipp/ Etudes d'Octaves d'apres J. S. Bach No. 12
(Philipp/ Etudes d’Octaves d’apres J. S. Bach No. 12)
第14番では、パルティータ第3番のファンタジアです。
Philipp/ Etudes d'Octaves d'apres J. S. Bach No. 14
(Philipp/ Etudes d’Octaves d’apres J. S. Bach No. 14)
なおこの「Etudes En Octaves d’apres J. S. Bach Op.53」以外にも、同じアイデアの曲集があり、それは実際に私も持っています。Durandから出版されている、「Etudes d’Octaves」で、同じようにオクターブ練習曲ではありますが、クレメンティ、ショパンなどの曲を元にしています。その中に1曲バッハのインヴェンション 第14番 変ロ長調を元にした練習曲が収められており、この曲は「Etudes En Octaves d’apres J. S. Bach Op.53」には収録されていません。
Philipp/ Etudes d'Octaves No. 4 (d'apres J. S. Bach)
(Philipp/ Etudes d’Octaves No. 4 (d’apres J. S. Bach))
バッハオリジナルのインヴェンションは、技巧を習得するためだけの練習曲ではなく、作曲技法の手引きでもあり豊かな内容をもつものでしたが、ここでは純粋な技巧練習曲になってしまっています。一方でオクターブ奏法はバッハのピアノ編曲にチャレンジする上で避けて通れないものです。ピアノ編曲を演奏できるようになるためのメソッドがあるとすれば、この曲集もカリキュラムに含まれるのではないかと勝手に想像をふくらませて今回の記事は終わりにします。